閉店の日。この店を愛した人達が、オーナー夫妻に会いに来た人々がひしめき合っていた。本当に今日終わるのだろうか?なんだか終わりのような気もしなかった。 打ち合わせなどほとんどしなかった。とりあえずマサシさんの横で床で切ることに。マットの変わりにデスクマットを購入した。道具はなんとかなったけど。 金曜からずっと眠れなかった。ここしばらく動悸がひどかったのが金曜以来、悪化した。興奮と緊張でつま先から指の先までドクドクと脈打つのがうるさい。身体中どこもかしこも心臓があるみたいだ。苦しかった。 以前狭心症だった父から、メディトランスニトロをもらい胸に貼って臨んだ。だけれどもう、床に座ったとたん緊張は何処かへ行ってしまった。あんなにうるさかった心臓もどこへ?やれそうな気がする。 22時。演奏が始まった。 一心不乱だった。 30分…。 黒い紙と格闘した。 本当にこれで全てが終わっても良いとさえ思った… あのリズムが、まだ耳に残っている。 顔を上げてお辞儀をした。 勘違いでもいい。あの拍手の海はきっと嘘じゃない。だってこの日はパチャールのための、マサシさんの演奏を聴きに来た為の人達が集まっただけで、私は全くの珍客なはずだ。突然のカッティングにウエルカムで暖かい拍手をくれた。喜んでもらえたらしい。 言い過ぎかも知れないが、これはマスターベーションがセックスに変った瞬間だ。 これまで私がやったライブカッティングは、進化してはいたかも知れないが、時間ばかりかかってダイナミックさにかけていた。そして何より、見る側を考慮しない、ひとりよがりで終わっていたのだ。 今回は違う。ジンベのリズムと伴奏、天上をゆっくり回る小さなミラーボール、時々たかれるカメラのフラッシュ、息を詰める観客。全てがこのパチャールという空間で交わり会う。一人ではできない。他者がいなければ成り立たない。交わることを表して。私は『パチャール(恋人)の夜』と名付けた。 「癒される」とも言ってくれる人もいた。色んな人が欲しそうだったけど、値段なんて、やっぱりつけられないよ。 私は終了後、絶賛してくれたHさんに興奮のあまり、「Hさん、これはセックスですよ!」と口走った。彼も「全くその通りだ!」と同じく感激しながら答えてくれた。彼は私をしきりにダンサーのようだったと表してくれた。 もう、マサシさんにはただただ御礼を言い続けることしかできなかった。新しい試みに喜んでいてくれてたみたいだけど、私は自分が喜んでるので精一杯。 個展を何回分やってもこんなのは無理だ。 何人かの人がカメラやビデオに撮っていたみたいだが私はデジカメも何も持って来なかった。 記録にこそ残せなかったけれど、これは私だけの胸に永遠に残る。 本当に、生きていて良かった。死にたいなんて、何で思ったんだろう。私、できることがあったよ。もうホントに大丈夫だ。まっすぐ歩ける。何をすべきか見つかった。誰にも合わせなんてしない。自分の作りたい物しか作らない。 パチャール、本当にありがとう。もう、まだオーナーに頭を下げていたい。ずっと御礼を言っていたい。マサシさんにも、私の分岐をくれたあのリズムはずっと忘れない。やっぱりこれは終わりじゃない。始まりだったんだ。 mixi上でエールをくれた皆さん、日曜深夜の列車を調べてくれた来海さん、みんなに声かけて気遣ってくれた愛野さん、翌日仕事なのにつき合ってくれた穂高さん、mixiやってないけどデスクマットの案を出してくれたN保さん。そして私の歴史的瞬間に最後まで立ち会ってくれた、共有してくれた鷹也さん。本当にありがとう。  
23日、仕事が終わりまっすぐに帯広へ戻り、出迎えに来てくれた友人達とその足でパチャールへ向かった。挨拶だけできれば、そして急ぎで作ったおみやげ、感謝の気持ちさえ伝えられれば、私はそれでよかったのだ。その予定だった… 友人達に会うのも、何年かぶりのような錯覚がした。たったず数ヶ月話すのがこわかったので、久々に会うとどぎまぎする。 色々と吹っ切れたようだけれど、まだまだ私には色んな不安もあったので今回は静かな滞在にしようと思った。 店にはいると、何も告げずに札幌へ来てしまって気になっていたHさんもいて、私はそれだけでも感激だったのだけれど。 アフリカから戻ったばかりのマサシさんがいた。 偶然だった。これが24の夜だったら、全ては変わっていたのかもしれない。何という巡り合わせだろう!この日は奇しくもパチャール6周年の日だという。 久々にマサシさんのタイコが聴ける。それだけで胸が高鳴った。だけれど。 演奏が始まるやいなや、予想通り私はそのリズムに酔ってしまった。ドロドロだ。色んなモノが回っている。これを切ることができないか、できないか!? 私ははずっとしこりを残していただろう?数年前、彼とやったセッションが不完全な結果で終わったことを。今ここで話しておかないとずっと後悔する。 私は、演奏が終わるやいなやマサシさんに詰め寄った。 「一緒にライブカッティングをやらせて欲しい」 余りにも無謀だった。 だいたい、私はマサシさんとは殆ど会話らしい会話もできていない。今まで、交流がないにも等しいのだ。それをなんという厚かましさだろう。でも、今言わないと話す機会はないかも知れない。パチャールでしか私は彼と会えないのだ。 いつも知らない人と話すのを恐れ、恥をかくのが怖くて自分から行動しなかった、なるべく逃げるようにしていた私が。 どれだけ私が後悔していたか、どんな気持でライブカッティングを始めたか、とにかく色んな言葉が口をついて出たけれど、何を話したか良く覚えていない。 とにかく必死だった。 彼はこころよく、静かに「いいですよ」と答えてくれた。 だけれど、いつ、どんなカタチでするべきか、全く考えていなかった。そもそも、まだ5.6回しか即興切り絵はやっていないのだ。 彼は、言った。 「25日はどう?」 パチャール最終日、自分も演奏するからその時どうだろうというのだ。 それは全く想定外だった。 何も持ってきていない。カッターもマットも。心の準備もできていない。まして、月曜は札幌で仕事だ。休みすぎなのでもう休むのも危ない。できるわけがない…。 「でも25日にやるのとやらないのとでは、全然違うと思うんだ。」 その言葉に、背中を押された。 生まれ変わるなら、今だ。 私は 「宜しくお願いします」 と答えた。
その店との出会いはもう何年前になるのか。 道東の片田舎でひっそり創っていた私は、自分の力の行き詰まりを感じていた。 卒業と同時に個展をし、切り絵の道を歩くことを決め、就職活動もせずに、様々な仕事を渡り歩いていた。 想像以上に社会は大変だった。私は結局、社会人になってからというもの、まともな展示も制作もできていなかったのだ。 唯一地元の公募展に向けて創った「WORLD」も受付で切り絵は審査できる人がいないとの理由ではねられ(学生時代は受け付けていたが…)砂を噛むような思いで日々を送ってた。何もかもうまくいかない… そんな時に彼女が声をかけてくれた。帯広のその店で、グループ展をやるからと私も誘ってくれたのだ…。 集まった10人は、皆デメーテルに携わったアーティスト。彼らはアーティスト然としていて、堂々としていた。 かたや私は、彼女と知り合いと言うだけの、田舎でひっそり作っているただの人のようだった。彼らに比べたら、とてもアーティストなんて呼べる者じゃない。苦学生時代に買った、5000円の一張羅のスーツ。出で立ちも様にならない。 展示の期間、私はずっと消え入りたい気持だった。 だけれど。最終日、そんな私に、オーナーは声をかけてくれたのだった。 私個人の、作品展をうちの店でやりたいって… どうしよう。嬉しくて、足が震えた。この中で一番醜いアヒルの子は私だと思っていたのに。嘘でも本当に嬉しかった。頑張ってきて、よかったんだよエリコ!それだけで私は嬉しくて、店の裏で泣いた。 ずっと人の目に触れる事がなかった「WORLD」。オーナーが買ってくれた「エピソード」。表に出してあげられた。ほら、どの子達も喜んでるような気がするよ…。 翌年、その店での個展は実現した。パフォーマンスとして切っているところを生でと提案されたが、あの頃の私は今よりもっと稚拙で、人前で切っている所など絶対に見せられなかった。見せたくもなかった。 今の私なら、ライブカッティングをできたかもしれないのに。 あの店でやるために、ライブカッティングを始めたのに。 いつでも私は気付くのが遅すぎる。 大事な物がなくなって、なくなろうとして、その存在がどれだけ自分の中を占めていたのか。 マハもノンマルトもそうだった。 25日にその店は閉店する。 2日前、偶然知った事。知らないままなら、私はもうあの店に行くことが出来なかった… まだ、間に合うんだ。 23日、急遽帯広入りを決めた。2月の展示以降、誰とも話したくなくて、帯広で人に会うことも頑なに避けていた私。もう同じ過ちを犯したくない。愛していた場所に、あの店にある私の子達に別れを告げるため、私は向かう。 一つおみやげを携えていこう。きっと、また会えるよ。私の子達。
今月は低血糖3度も(いや厳密に言うと5度か)起こしたのにヘモグロビンA1cが先月と全く同じ数値ってこれ如何に!!!! くそ、来月はもっと下げてやるぜ! ついでに旦那と落ち合って大通周辺をぶらぶら。 なんだかんだでまんだらけへ。ああやっぱわしらオタク夫婦だな…(笑) うっかりかつての同人誌を大人買いしそうになる(笑)なんかなあ…「さよならをゆるして」が210円なんだ…そんな時代なんだ…オラっちのあの頃は買いたくても買えなかったもんだがね。「さよなら」なんて超バイブルじゃんか!!ロマンハウスの「緑の日々」だって安いじゃん…でも大人になるとあんなにも欲しかったのにそれほどでもなくなるもんだな… 尾崎やまのあさん、省さん、四谷シモーヌあたりが私のアンテナ。今も変わらず。14の魂100まで!!いっぺん死んでこい。(さあこのワード群が分かるマイミクは恥ずかしがらずに手を挙げて!!) 悟空道の10、11巻があったので即買い。仏契で釈迦力!!これ、ホント見つけたときに即買いしないと買えなくなるのよ。今は私山口先生ブーム。すげえよ知らないうちに我が家にチャンピオンコミックスがこんなに!!!(笑)大ファンです。 「覚悟のススメ」はホントに衝撃を受けた。「シグルイ」はまだ手を出していない。 なんか、ちょっとよく考えないとこの本の紹介はできねえ…(笑) そうそう!みんな聴いてよ!!オラ、札幌に来て1年、初めてCOSMOで服買ったズラよ!!!えっ…それまでどうしてたかって…どれも数年前の服だがね!! でも1990円(´▽`)!すってき〜!! じゃあ鳥釜飯ができたから落ちるね!ほなサイババ!! (復活したてでとばしすぎ。ハーイ!ハイテンション!!!)
31になった。 札幌へ来た月に30になって、早一年たったのか。 私はこの一年、自分を見失っていた。 特に仕事を始めてから、長い閉塞期間に入った。 苦しい一年だった。 私のスタイルって何だ?何のために創ってたの?誰にあわせようとしてるの?何の義務感? そんな物いらない! 団体に所属してみようとしたり、仲間を捜してみたり、してみたけれど、無理をしていたのかも知れない。 自分の許容範囲と言うよりも、スタンスに合わないことを、やってみようとしていたのかも知れない。 得ることのできたのは、ライブカッティング。 そして「迷いながら私はここにいる」こと。 それでいい。 もうひとつ。 アーティストとしての自分がいて、一社会人で主婦で病人で娘である私との折り合いの付け方。 でもどれも私なんだ。それを持ちながら創っているから、私の作品は私だけの物なんだ。 その答えを分かっているのに、体に覚えさせるまでちょっと苦労した。札幌に来て良かったのかも知れない。 尋常じゃない体のだるさをだましながら、そして作り手としての自分を殺しているうち、くだらない自己顕示欲とバカみたいに高いプライドとそのあまりのギャップに気付いたら底にいた。底の底にいた。 鬱だと認めることは簡単だったかも知れない。 何度、病院へ行こうかと思ったかしれない。 けれど、私はあえて心療内科へ行かない道を選んだ。 私には、守ってくれている夫がいて、家族がいて、手をさしのべてくれる友人がいて、…私の切り絵を好きだと言ってくれる人がいる…。 だから、大丈夫なんだ。 がんばれるじゃないか。 ここしばらく、体調の悪さに甘えて仕事も休みがちになってしまい、有休の範囲内とはいえ、この状態が続くと危ういとの上司からの話が出た。覚悟はしていたけれど、どうにもしんどかった。 だけど、まだ辞めるわけにはいかないんだ… 病気のことも、話してしまって、しばらく様子を見てもらえることになったけれど、その日は事実上崖っぷちだった。 金で不自由してきた生い立ち故、最低限は確保したい。 それは浅ましいことですか?きれい事でも本音でもなく。だって、守りたい物があるから。 最低限でいいけれど、大切な人が困っているときにチカラを貸せるように、そうしていたい。 生きることはたやすくはないけれど。働くことは少し不自由なことだけれど。 そんなに悲しい物でもないよ。 私には、守るべき物がある。だから、働くんだ。自分の夢だけを守れる時期は既に過ぎた。 守りたい。だから、夢も抱えて生きていく。甘えてなんかいられない。そんなすき間はないはずだ。 そう考えたら、無理も利くようになった。 まだ行ける。 体の調子も、少しづつ自分で把握できるようになってきた。 私は、守り、守られ、生きている。創っていく。それでいい。 今までの私に手を貸してくれた、声をかけてくれたみなさん、本当に本当にありがとう。 私はまだ走ります。時々は歩きながら、小走りしながら、進みます。心配かけて、本当にごめんなさい。今度こそ、きっともう大丈夫です! ぼろぼろでもまだ飛べるぜ そんな唄があった。高校生の頃、すきだったんだ。
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